光透波…花の美しさ

今日2017年9月14日、テラスに置いてある植物の花が一輪咲きました。どの植物のどのような花も美しいです。日本ではお花見の習慣があります。春桜の花が咲くと、桜の樹の下にシートを敷き、お弁当とお酒を持って花見をします。

日本人だけではありません。どの国の方も花が咲いているのを見て綺麗だ!、美しい!と思わない人はいないと思います。

植物は私たちに様々なことを教えてくれます。大気中の二酸化炭素を吸収して酸素を与えてくれます。また食用として様々な野菜を提供してくれます。植物の成長は生物にその実や住処を与え、養い、育てています。森があるのも水があり植物が成長して、様々な生物がそこで生活できるのです。

しかし人類だけが植物の姿や花を見て「美しい」と情緒的なことを感じることができます。では何故人だけが情緒的なことを感じることができるのでしょうか?

人と他生物との決定的な違いは「コトバ」を持っているかいないかです。人はコトバによって考えることができます。コトバはコトバが持つ意味があります。例えば嬉しい、悲しい、楽しい、苦しい………、など様々な意味を持っています。

コトバを使うということはそれに伴い、使うコトバの意味を使っていることになります。

私達はどのようにコトバを獲得してきたのでしょうか?

私は結婚をする前に小田野早秧先生から「光透波」のことを学びました。妻も長女がお腹の中にいるときに基礎講座を受けました。私達夫婦は幸いにも子供を持つ前に「光透波」を学んだのです。ですから長女の妊娠がわかったときから、私も妻もお腹の子に話しかけをしました。

妊娠6カ月が過ぎた頃でした、いつものように妻がお風呂から上がるとソファーに横になりお腹をさすりながらお腹の子と話をします。ずっと話しかけていたのでこちらの言葉掛けに対して反応しないかと思い、手を挙げてごらんと話しかけました。するとどうでしょう足を動かしたのです。何度もやったのですがほとんどきちんと反応しました。ただ手と足の区別はできるときもあればそうでない時もありました。

8カ月を過ぎる辺りから妻は夕方散歩してました。その時いつも歌っている歌がありました。娘が生まれてきて数年が過ぎた頃、娘はその歌を覚えていました。

私には3人の子供がいます。最初はあーとか、うーとか音を発生しているだけですが、そのうち単語を言えるようになります。親の話を聞いているので3歳くらいになると短いセンテンスを言えるようになります。昨日保育園で「誰々ちゃんと遊んだよ」とか「お買い物に行ったよとか」です。

さらにコトバを獲得すると、だんだん情緒が発達してきます。情緒は言葉のボキャブラリーが増えるほど安定してきます。小さな子がお母さんに伝えたいことがあるのに、まだ言葉を十分に使えないので癇癪を起こすことがあります。

私は生活していて愚痴や消極的なコトバをほとんど使いません。親がのびのび自由に育ててくれたので、根っから積極的な考えのままに生活しています。ですから子供が小さい時にはそのようにしてきました。でも小学生のある時期から子供に対して制限するような言い方が増えました。

どのように私達はコトバを獲得し、どのように自意識を作ってきたのでしょうか?