光透波…1と2の関係性

視覚について考えてみましょう。

「見る」ことを生理学的に考えると、目は外の世界の光エネルギーを視神経(杆体細胞と錐体細胞)によって電気エネルギーに変換し、その信号を脳に伝へ、視覚から様々な情報を得ています。

たとえ体があり、目があっても死んでいたのでは見ることはできません。外界の情報を取り入れることができる視覚の生理的機能は、生命あって始めて見ることができるのです。目という感覚器官や脳はあくまでも感覚のハード面です。感覚器官を動かしている、脳を働かせているエネルギーこそ「生命」と言われているエネルギーです。

見ることの対象は何であれ、対象物の「名」を捉えて対象物と「名」を同時に認識します。対象物の「名」がないと認識できません。見ているのは対象物ですが、脳で認識するのはその「名」並びに対象物の特徴です。「名」も対象物の特徴もコトバですので、脳にインプットする対象物の内容はすべて、コトバ情報です。左右の目を使い視神経を通じて命の能きによって見ているのです。目は左右二つあります。二つの目で一点を見ているのです。

「2」で「1」を捉えているのです。他にもこの関係にどのようなものがあるのでしょうか?

私たち人の出生は精子と卵子に生命磁場が寄り添うことによって、受精卵の分割が行われます。精子と卵子という細胞である「2」つのハードに対して、その細胞分割を行う生命磁場である「1」のソフト面の関係も「2と1」の関係です。

親子関係も父母という親(2)と子(1)という関係も「2と1」の関係です。すべての物質、森羅万象も原子核(+、正の電荷)と電子(ー、負の電荷)である二つの相反する性格の電荷「2、+ー」とそのバランスで作られている物質も「2と1」の関係です。

視覚の場合二つの目で違う位値から見ているので、遠近感を把握することができます。一つの目だけですと距離感を把握できません。

「2」という能きがどのようなことなのか考えてみましょう。

「2」を相対的なこととして捉えてみると、相対的な関係を理解するのは地上生活無くして成し得ません。体を持った相対界でないと相対性が学べないからです。

陰⇄陽

善⇄悪

明⇄暗

喜び⇄悲しみ

創造⇄破壊

等のようにです。

相対的関係をどのように捉えるかでずいぶん意識が変わります。

例えば「健康と病気」について考えてみましょう。健康な時は、生活で体のことはあまり考えずに、自分のやりたいと思うことができます。仕事でも、趣味でもレジャーでもです。病気をするとまず体を健康な状態に戻さないと、何もできません。病気をして回復すると初めて健康の有り難さがわかります。「健康と病気」という2つの関係性はそれぞれが相対的関係ですが、病気という自分にとってはマイナスなこととして捉えていたことが、病気をしたからこそわかる健康の有り難さとして考えると、マイナスな出来事ではなくなるのです。健康を知るためのありがたい病気なのだと気付くのです。

相対的関係性としての「健康と病気」が、お互いを知り、理解するための相補的な関係に転換したのです。この理解はあらゆる相対的関係性がそれぞれの理解のための関係性として対立性から相補性に変わったことで、二つとも必要な相対的関係として認識されると、感情的だった対立性がそれぞれの理解に変わるのです。この時点で対立は終わり、それぞれの理解という「情を観る…観情」というより客観性がました「情」の捉え方に変わるのです。

対立的相対性からお互いを理解する調和的相対関係に転換した、お互いを理解するための「観情」に変わるのです。

「対立的関係→普遍的関係」

「相対の2→普く負う二」

ヘの転換なのです。

 自分の中の感情的、勘定的自分、両者とも自分であるという、両者の関係のベースに命という絶対安定した能らきがなかったら相対的関係性も理解できません。

2ニ → 二フ → 十

  相対    普負  絶対調和

健康を「+」とし病気を「一」としたとします、すると

健康を「+」 + 病気を「一」→0調和、統一、統合

自分自身の身に起こる現象に対して「+プラス」でも「一マイナス」でもないというスタンスは、自意識下で自分との葛藤はありませんし受け入れる体制があるので起こる現象を否定的に考えることがありません。もちろん起こる現象の程度にもよると思いますが、受け入れることができればストレスや、マイナスの意識に発展することは少ないようです。

この様な体験から「2」の意味の本質が理解できるのだと思うのです。

2という二つの相対的関係性から、それぞれを理解し相対的関係(ニ)が実は調和のためのフ普負に変わるのです。

2 → 二 → 十(⎮+

ニ   フ

相対   普負  絶対調和

また十(プラス)、一(マイナス)0ゼロですが、10と1ですので11でもあります。11は原数に戻すと1+1=2になります。11はアルファベットでKケですが、「天鏡図」でケを索引すると「計、化」なので「ケ化」と取ると「ケ化→イ5+ヒ1→51」となります。51は母音の表数51音です。フニは相対的関係から両者の相補性を理解すると、普く負うという普遍性に転換するのです。

2→ニフ→││→Kケ化(51)一行目母音の表数並びに清音数51音→一

普く負うとは全てに責任を持っているという意味では、絶対なのです。

二 = 一

2=1の世界が成立していることになります。

全ての相対的関係の本質が実はそれぞれの相補的関係から0(無)であるという理解こそが、地球という相対界に「生」を受けその対立性から学び、相対的関係の本質を理解、体得することが自分の意識の対立的感情と打算的勘定からの脱却なのだと思います。内在する意識の本質と外在する透明真空エネルギーが同一であるという理解に至った統一された意識は

十+一→0

問い(十一)による「理解」、さらなる経験その経験によるさらなる理解、問いが経験と理解とを繋ぐ架け橋になるのだと思います。

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